成績は大切ですが(1)

こんにちは。塾長の佐伯です。来年で塾を初めて25周年になります。長いことやってますといろんな生徒に出会ってきました。頭のいい生徒もそうでない生徒も、努力をする生徒もしない生徒も。今までは目先の小学校や中学校、高校で実施されている試験でいかにいい成績をとらせることができるかをずっと考えてきました。でも最近思うのです。もちろん成績はいいに越したことではない。でもこのことってこれから大人になっていく子供たちにとって1番に考えるべき最優先事項だろうかと。こんなことを言うと保護者の方からお𠮟りを受けるかもしれませんが、何かほかにもっと大切に育てなければならないことがあるのではないかって、思うんですよ。ずっと考えてきました。ずっとずっと考えてきました。

そこで最近思うんですよ。

大切に育てていかなければならないのは、なんて言ったらいいのでしょうか、一言でいうと「人生をく抜く力」とでもいうものじゃあないかなって。

 

 先日も岸田総理を爆弾で襲撃した人がいましたよね、安倍総理を殺害した人もいました。いろんな事件を起こす人に共通していることがあるように思うんです。彼らの中には「自分がこんな環境にいるのは世間のせいだ、安倍のせいだ、岸田のせいだ」って思ってるように見えるんです。「自分の今の環境は自分のまわりが作ったんだ」と思ってるように見えるんですよ。彼らは今の自分の状況は自分が作り出したんだって思えてないってことですよね。「そんなこと言ったって環境や運なんかもあるからすべて自分の責任にされても困る」っていう人もいますよね。それもよくわかります。でも今の子供たちに同じことを言うような大人になってほしいと思えますか? 私は思えないです。いろいろな環境はあるだろうけどその中で自分で人生を切り開いていくぞって思える大人になってほしいです。

 そこでまた考えました。あのような殺人事件を起こしたりする人たちって「自分はだめ、他人もだめ」という考えか「自分正しい、他人間違い」という考えかたか、どちらかに極端に考えている人たちなのじゃあないかって。

もしそうだとしたら彼らはいつからそんな風に考えるようになったのでしょう。そう考えたときに「きっと子供のころだ」と気が付いたんです。彼らは子供のころから「いろいろなことは自分で決めるんだ。そして自分で決めたことには責任をもって受け止めるんだ。」と教えられてこなかったんだと思います。すべてのことはご両親や先生に決めてもらって事が進み、その結果自分が気に入らない環境になったときに「両親のせいだ、先生のせいだ」と思い続けてきたのではないでしょうか? ご両親や先生は「この方が本人のためになる、この方が苦労しなくて済むんだ」と本人のためを思って指導されていることは重々承知しています。しかしそれは同時に「自分で決断して進む力」をそいでいることにはならないでしょうか?

また、こんなことも考えました。 今って「子供のころは成績、成績」と言いながら社会に出たら「通知簿では測れなかったことが大切なんだようなあ」なんて言われてませんか? つづく。